大圓寺「大円寺」の本堂

                                                                                   

東京都目黒区下目黒にある天台宗の寺院。山号は松林山。本尊は釈迦如来。大黒天を祀り、山の手七福神のひとつとなっている。この寺は「松林山 大円寺 」といいます。寛永のはじめ、湯殿山の大海法印が寺の前の坂(行人坂)を切りひらき、大日金輪を祀って祈願(いのり)の道場を開いたのがその始まりと伝えられています。 大圓寺「 大円寺 」には、”生身の釈迦如来”と言われている木造「清涼寺式釈迦如来立像」(国指定文化財)、木造「十一面観音立像」(区指定文化財)、徳川家の繁栄と江戸発展守護のための「三面大黒天像」(山手七福神の一つ)などが安置されています。 明和9年2月(1772)、本堂から出火、江戸六百余町を焼き、多くの死者を出しましたが、その供養のために造られた「釈迦三尊・十六大弟子、五百羅漢の像等の「大圓寺( 大円寺 )石仏群」(都指定文化財)が建てられています。また阿弥陀堂には「木造阿弥陀三尊像」(区指定文化財)や八百やお七の火事にまつわる西運の上人の木造、お七地蔵などが祀られています。 境内には「行人坂敷石造道供養碑」(区指定文化財)、「目黒川架橋供養勢至菩薩石像」(区指定文化財)、西運の墓、などがあります。 

 

 

大円寺の八百屋お七の話

江戸時代、本郷の八百屋の娘お七は天和2年(1682)の火事の際、自宅を焼かれしばらくの間、駒込の円林寺に仮住まいしており、その時に寺小姓の吉三に恋したという。お七が十六、吉三が十八でした。 恋こがれたお七は、吉三に逢いたさに翌年自分の家に放火したために、江戸市中を引き回しの上、鈴が森の処刑場で火刑に処せられた。 その後、一方の主人公「寺小姓吉三」はお七の処刑後、僧となり名を「西運」(さいうん)と改め諸国を行脚、後に 大円寺 の下隣りの明王院(現・雅叙園)に入ってお七の菩提を弔うため、往復十里(約40km)の道のりを浅草観音まで夜から明け方に掛けて鉦を叩き念仏を唱え、隔夜日参り一万日の行を27年と5ヶ月かけて成し遂げ、お七が夢枕に立って成仏したことを告げられたことから、「お七地蔵尊」を造った。また、西運は多くの江戸市民から浄財の寄進を受け、これを基金に寺前の行人坂に敷石の道を造り、坂下の目黒川に石の太鼓橋を架け社会事業の数々を行った。 明王院は明治13年に吸収され、境内に阿弥陀堂として祀られています。

大圓寺「大円寺」の阿弥陀堂

来迎阿弥陀三尊像

来迎阿弥陀三尊像の前に立つ「お七地蔵尊」。身体を多少左に傾けた木像。

 

お七の井戸

雅叙園の入口脇にある「お七の井戸」 西運が浅草寺まで行に出る時、ここで身体を浄めて立った井戸だと言われています。

 

大黒天

「山手七福神」の1つの「三面大黒天」が祭られている石像は,全部で7体ですが,それが3つの群に分かれていて,左の群には,左より寿老人,その右が福禄寿,その奥が昆沙門天が(左の写真),中央の群には,恵比寿,その右が大黒天が(中央の写真),そして,右の群は弁財天,その右が布袋尊(右の写真)と安置されていました。

 

大円寺仏心閣

1F 式場:椅子席(50席)
2F お清め所:和室

家族葬から150名様位の葬儀にも対応可能。都心で家族葬をお考えに方に最適な斎場です。

斎場

              

     オリジナル祭壇                                              

      葬儀の事は                                          

 

  

   
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 天台宗とは

中国で成立し、最澄によって日本に伝えられました。天台宗の教えは隋の時代に智?によって確立されたものです。したがって日本の天台宗では智?を高祖、最澄を宗祖としています。天台宗という名称は、智?にゆかりの深い中国の天台山という山に由来しています。天台宗では『妙法蓮華経(法華経)』を根本経典とし、その教えを実践することを説きます。智?はあらゆる仏教の教えをその説かれた時期と形式・内容によって統合し、五時八教という教学体系を作り上げました。その際、『法華経』を仏教の最高の教えであると位置づけたのです。葬儀とは、亡き人へ永遠の別れを告げる厳粛な儀式であり、故人を送る人々にとって、「死」と直面し、現在の「生」(自分が生きている事)の意味を見極める、大切な儀式であると言えます。天台宗の葬儀の特徴は、顕教と密教に分けており、それぞれに儀礼があるということです。 顕教儀礼には「法華懺法(ほっけせんぽう」と「例時作法(れいじさほう)」が、密教礼儀には、光明供(こうみょうく)があり、合計三種類の儀礼によって、天台宗の葬儀は営まれます。これらいずれの礼儀も、本質は供養する家族・縁者・故人が一体となり、ともに仏道を成就していくことにあります。最澄は唐で中国天台宗、中国密教を学び、円教の一乗説をもとに、それらを融合させた総合仏教を確立しました。それこそが日本の天台宗なのです。

天台宗の焼香のマナー

祭壇に進み、遺族に目礼し、故人の遺影に向かって一礼します。
一度合掌します。
親指、人指し指、中指で抹香をつまみ、目の高さぐらいまでに持ち上げます。
抹香を香炉の中へ落とします。(1〜3回)
改めて遺影に向かって合掌します。
一歩下がり、僧侶と遺族に一礼し、席に戻ります。

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